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くだらなさの美学

 

生活がマンネリというか、

単調になってくると、

「くだらなさ」を求める自分が

出て来ます。

 

くだらないことをしてみようかな

という気持ちになる。

 

こういうところが私らしいでしょ?

 

意味の無いというかね、

他人からしたら「くだらねーなー」

言われそうなことをしてみたくなる。

 

なんか、

そういうことを思い付くのって

人間ならでは。笑

 

くだらないことって、

思考や気持ちの余白が増える気がします。

 

心の余白を作るための遊びであり、

余裕であり、ちょっとした反抗でもあるのかな。

 

“意味のなさ”って、スゴく贅沢なもの

 

効率とか成果とか、

生産性が求められる時代だからこそ、

「くだらなさ」に身を委ねることが

逆に自分を取り戻すきっかけになる

ような気がします。

 

私だけがそう思っているのかもですが。

 

あらためて考えたら、

くだらないこと(意味がないこと)

をやれるって、ある種、

スゴく贅沢なことなのかもしれませんね。

 

そういえば、、、

 

小学生の頃、学校までの通学路で、

道に落ちてたツルツルの石

見つけては拾っていました。

 

連日、他にもないか探しました。

集めてたんですよね。

 

あれは大人が見たら、

「くだらないことをしてるな」と

思ったでしょうね。

 

ツルツルの石を拾って集める。

 

大人の目には「意味のないこと」に

映るかもしれないけれど、

そこにはちゃんとした

子どもなりの世界が広がっていて、

目に映るものが宝物になり得る時代。

 

「これはただの石じゃない。

なんかいい感じなんだ」っていう

あの感覚。

 

単調な日常の中で、

自分の内側にある「遊び心」とか

「自由の余白」を求める感性。

 

それは子どもの頃の

「ツルツル石探し」と

ほとんど同じものかもしれない。

 

実は「くだらないこと」って、

その人の「好き」や「感性」や

「余裕」の表れでもあるのかなと思いました。

 

効率だけで動いてたら、そんなことやらない。

 

でも、

心にちょっと余白があるからこそ、

くだらないことをしたくなる。

 

くだらないことって、

心の深呼吸や潤滑油みたいな役割があって

人間として生まれたからこそ味わえる

愛おしい生き方の一つなんだろうなあ。

 

そんじゃあ、

歩いて富士山まで行ってくるか。笑