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路傍のフジイ

 

Voicyパーソナリティの尾石晴さんが

紹介していた漫画「路傍のフジイ」

(著者:鍋倉夫、小学館)

 

TSUTAYAで借りてみました。

 

この漫画ご存知ですか?

 

ざっくりと

ストーリーを紹介しますと、、、

 

物語の主人公は、

40代独身・非正規社員の

藤井守(ふじい まもる)。

 

一見すると、

地味で冴えない中年男性。

 

職場でも社交的とは言えず、

つまらない人生を送っていると

思われている存在。

 

しかしながら、実は

陶芸・絵画・ギターなど多趣味。

 

さらに休日には

街に出て食べ歩きを楽しんだり、

公園に出かけたり、

時には人助けをしたりと、

 

職場の人間から見たら

全く異なる側面がありました。

 

つまらない人生を歩んでいると

思われていたフジイさんですが

自分の人生を楽しんでいたのです。

 

先入観で、

人や物事を決めつける人のほうが

実は「つまらない人間」なのですよね。

 

自分自身がつまらない人間だと気付く同僚(第1巻にて)
自分自身がつまらない人間だと気付く同僚(第1巻にて)

フジイを見下していた人が変化するストーリー

 

この漫画、

「設定が面白い」と思いました。

 

これまでの漫画って、

主人公が成長していく過程が

描かれてるのが多いですよね。

 

でも、この漫画は真逆。

 

フジイを見下していた人が

変化していくストーリーなんです。

 

冴えないと思われていたフジイが

実は人生を楽しんでいた、

魅力的な人だった。

 

それを知ったことから

フジイさんに対する意識や

物事に対する価値観が

変化していく姿が面白いです。

 

彼の生き方に触れた人々が、

次第に生き方を見つめ直していく。

 

これって

人ってやっぱり他人の影響を受けて

自己成長に至るってことなのかなあ。

 

どんな人と関わって

生きていくかによって

幸福度の基準が異なっていくって

こともあるんだろうなあ。

 

他人の目を気にする生き方か、自分軸のある生き方か?

 

私たちって

人生はお金をたくさん稼ぐとか、

大学行って一流企業に入るとか、

出世して地位を獲得するとか、

結婚して子供を作るとか、

そうした理想的な生き方が基本で

そこから外れると落第者のような

そんな刷り込まれた価値観が

根底にある社会のような気がします。

 

これらは、一般的に

こうあるべき生き方とでも

呼ぶのでしょうかね。

 

それが正しい、悪いと

言っているのではなく、

知らず知らずのうちに

「あるべき生き方」が決められている

ような気がするんですよ。

 

「他人から

こう見られたらどうしよう?」

 

「こんな生き方をしてたら

周りはどう思うだろう?」

 

このように、他者意識が先行し、

思考に影響してしまう。

 

まあ、共存社会ですから

時には他人の目を気にする行動を

取らないといけませんが。

 

なんて言ったら良いのでしょうか。

 

私たちって、

承認欲求マウント合戦のような

他人の目を気にする生き方に

なりやすい傾向がありますよね。

 

私が行っているジムでもそう。

 

レッスン前のスタジオ内で

独りでポツンといると

友人がいない寂しいやつだと

思っている人はいると思います。

(私は独りでいるのは苦じゃありません)

 

話が少し脱線しましたが、

なんか、この漫画は

そうした価値観から脱却した

自由な生き方を提案している気がするんです。

 

「生き方ってこれでいいんだ」

思わせてくれる優しさと余韻。

 

『路傍のフジイ』は、

人生の主人公になれなかったように見える男が

実は誰よりも自分の人生を味わっているという

逆転のような日常ドラマです。

 

なんとなくですが、

この主人公のフジイさん。

 

私に似てる気がする。笑

なんとなくですが。

 

2巻も読みたくなりました。

(貸出中で借りられませんでした)

 

そんなわけで今日は

路傍のフジイを紹介してみました。

 

読んでいただきありがとうございました。