
生物学者の小林武彦さんいわく、
生命が地球に誕生する確率は、、、
25mプールに
バラバラに分解した腕時計を放り投げ、
グルグルかき回していたら
腕時計の部品が組み合わさり、
その腕時計が動き出すことに等しい。
つまり、
それぐらい低い確率で奇跡が重なり
私たちは誕生したそうです。
よくよく考えてみると、
地球と太陽は絶妙な距離にあり、
生きるための空気や水があり、
月もまた、絶妙な位置に存在しています。
(月は地球の自転を安定させ、
潮の満ち引きによって
生命の進化に影響を与えています)
これらは本当に、
すべて偶然の産物なのでしょうか?
そして、
私たちに備わっている「意識」もまた、
不思議で、とても奥深い機能ですよね。
「あなたも自分とは何者か?」
と考えたことはありませんか?
私はこの問いを、
これまでずっと心の中で巡らせてきました。
今日はそんな「意識の探究」について、
私なりの考えを綴ってみたいと思います。
まずは
何故この世界が生まれたのかについて
考えてみたいと思います。
この宇宙に
最初に存在していたのは
「意識」だけだったと仮定してみます。
意識ですから
形を持たず、時間や空間もなく、
ただ「在る」だけの存在。
そして、
意識はやがてこう思ったのです。
「私は何者なのか?」と。
私はここに在るけれど、
“在る”とはどういうことなのか?
を知りたくなったのです。
(宇宙もだんだん成長し、
この世界を知りたくなったのでしょうね)
そこで意識は
「私を知るためには、
私でないもの(=他者)が必要だ」
と考えました。
ここから分離が始まりました。
「私」と「他者」
「意識」と「物質」
この分離によって、
宇宙・時間・空間・物質世界が創造された
というのが、この考え方の根本です。
つまり、最初に存在した意識が
自分は何者かを知りたいと思い、
意識を切り分け、他者を創り、
この物質社会を生み出したのです。
物質社会は「意識が自分を知るための舞台」
この体、この社会、物質、
喜びや悲しみ、
愛と憎しみといった感情、
善と悪など、、、
これらすべては
意識が自己を体験するために生み出した
ツールのような気がします。
この肉体、この社会は制限された世界。
意識体のように時間、空間関係なく
動き回ることは出来ませんが
あえて制限ある状態を望んだのでしょうね。
(そのほうが学び得るものが大きいから?)
そして、私たち一人ひとりに
「心(意識や思考)」を宿らせました。
この「私」という意識は
もともとあった宇宙意識が分かれた
「かけら」のようなものじゃないかと
考えられます。
ですから、私やあなたは
宇宙そのものの一部かもしれない。
もともと一つの意識体だったのなら
他者も仲間(自分)です。
まあ、生物学的に見て
進化の過程で突き詰めていけば
最初に生まれた1つの細胞から
我々の祖先は生まれたのでしょうから
人類みな兄弟なのですよね。
そうなると、他人は
自分自身の別の側面かもしれない。
そう考えると
他人に対しての見方が変わってくる人も
いると思います。
さらに、さまざまな感情も、
そして善も悪も自己探究の一部。
悪い感情も創ったのが興味深いです。
戦争などの対立や争いも
意識が自分を知る上での
自己探究において
必要だったのでしょうか。
おそらく、感情や体験を通しての
喜びや悲しみ、成功や失敗といった
体験こそが意識の進化であり、
それが私たちが存在する最大の目的。
自分とは何かを知り探るために
私たちに感情、体験などをさせている。
意識だから、この肉体は滅んでも
肉体を通して学んだ情報は
どこかに蓄積されているのかもしれない。
おそらくそうしたことを目的に
私たちを存在させているっていうのが
私の現時点での考えです。
また、我々に宿った「意識」は
かけらと言えど、秘めたパワーが強大ですから
意識の使いようによっては
この現実世界を変えてしまう力がある
ような気がします。
いわゆる引き寄せってやつです。
この奇跡的に生まれた生命や
太陽、月、地球といった
絶妙な環境、、、
これは果たして偶然なのか?
この世って本当に面白いですね。
意識の探究は続いていきそうです。
そんなわけで今日は
意識の探究について書いてみました。
読んでいただきありがとうございました。