· 

声に人生が乗る

 

先日「ビストロボイス」というTV番組を見ました。

 

ビストロボイスとは、

声優の山寺宏一さんがMCを務め、

山寺さんと親交のある

声優さんや芸能人の方をゲストに迎え、

「声」をテーマに語り合う番組です。

 

その中で、とても印象に残った話がありました。

 

「セリフ」は技術だけでは生きない

 

その印象に残った話とは、、、

 

声優という仕事は、

ただセリフを上手に読むだけでは成立しない。

 

その人が生きてきた

経験や内面の成長がないと

言葉に説得力が出ないのだそうです。

 

これは教えて身につくものではないということ。

 

声というのはその人の命が語っていると

同じようなもの。

 

という話でした。

 

「なるほど」と思いました。

 

振り返ると、誰かの話を聞いても

なぜか胸に残る声と、

きれいに流れて消えてしまう声があります。

 

その違いは、発声や表現力よりも、

その人がどんな時間を生きてきたか?

 

その違いなのかもしれない。

声にその人の人生が乗っているんですね。

 

若い頃の不器用な声は、もう出せない

 

番組の司会を務めていた山寺宏一さん自身も、

こんなことを言っていました。

 

「若い頃のあの不器用な感じの声はもう出せない」

 

この言葉も、とても印象的でした。

 

声優としての経験値が増え、

技術が上がり表現が洗練される一方で、

未完成だった頃の声は失われていく。

 

若い頃は、余裕がなくて、ぎこちなくて、

でもその時にしか出せなかった声。

 

当然のことなんですが、

上達とは、何かを得ると同時に

何かを失うことでもあるのだと再認識しました。

 

言葉に重みを感じる人と、そうでない人

 

これは声優の仕事に限った話ではないなと思いました。

 

私たちの生活の中でも、同じことが起きています。

 

これから本格的に選挙戦が始まりますが、

政治家の言葉を聞いていても、

なぜか重みを感じる人と、そうでない人がいます。

 

同じようなことを言っているのに、響き方が違う。

 

それは言葉の正しさの違いというより、

その人がどれだけの人生を通ってきたかの違い

なのではないでしょうか。

 

政治家に限らず、

自分の身の回りの知人でも同じですよね。

 

多くを語らないのに、なぜか信頼できる人。

 

理屈は合っているのに、言葉が心に残らない人。

 

この差は、話し方のうまさでは説明しきれません。

 

同じ経験でも、重さが違う理由

 

同じ出来事を体験しても、

人それぞれ受け取り方は異なります。

 

その出来事をどう考え、

どう精神の中に流してきたかは

人によって違うんですよね。

 

だから仮に同じ戦争を経験したとしても、

話に強い重みを感じる人と、

そうでない人がいるかもしれません。

 

それは誠実さの問題ではなく、

経験がどれだけ内面で咀嚼され、

人格の一部になっているかの違い。

 

誰が経験したかによって、

その出来事の重厚感が変わる。

それこそが個性なんですよね。

 

人の数だけ、千差万別の感じ方、

話の重みが異なるってことですね。

 

もし神様がこの世をこの人間を作ったとしたら、

人によっての物事の捉え方、話の重みの違いを

知るため、多くの人間を生み出しているのかもしれない。

 

生の声に触れるという価値

 

だからこそ、

何かの第一線で長く活動してきた人や、

文化や芸術の分野で積み重ねてきた人の

生の話はとても貴重だなと感じます。

 

講演会などで直接話を聞く価値は、

新しい情報を得ること以上に、

その人の声に宿った人生に触れることに

あるのでしょうね。

 

言葉に詰まる間や、言い切らない語り。

 

そこにこそ、その人が生きてきた時間が

にじみ出る気がします。

 

今しか出せない声を生きる

 

そんなわけで今日は、

「声に人生が乗る」をテーマにして

ブログを書いてみました。

 

声に人生が乗る。

今までそんなこと考えたこともありませんでした。

 

でもそれは比喩ではなく、

実感として存在するものです。

 

今この瞬間に発している言葉も、

今の自分にしか出せない声です。

 

周囲の人が発する言葉や声も

今しか聞けない声なのですよね。

 

そう思うと、

自分の発する声や言葉、

周囲の人が発する言葉や声に対して

向き合い方が少し変わるような気がしますね。

 

(今日は人の声をちゃんと聞いてみようかな♪笑)